2009年3月  

陵遅刑について文献が有りました。

2008年10月26日日曜日

私のブログでも、数回このテーマで取り上げたのですが、より詳しい文献が見つかりました。初めて見る写真も有ると思いますが、刑を受ける人は女性です。何の罪状かは残っていません。


なお、写真は残酷なシーンが写っています。閲覧の際は十分注意し15歳未満の閲覧を固く禁じます。


受刑者に対し、苦痛をゆっくりと味あわせる為に上体から下部にかけ一刀一刀肉を削ぎ落とす死刑です。人体を切り刻む刑法は、古くは周王朝が崩壊し、5代目から始まりました。正式に名称が与えられたのは、947年以後全ての時代に適用され、最も残忍な死刑と言われています。では、この死刑に値する程の犯罪とは何かというと、一番は政府に反乱を企てる。親や子を殺す等、倫理道徳に反する犯罪者に、この刑が適用されました。人体を切り刻む内容はとても残忍で、骨は肉と一緒に切り取ります。また、時代により、刑を実行する方法も違いがあり、普通は、まず髪を切り落とし、手足を切り取り、胸、腹、と、最後に断首を行い、都合、8回に渡り身を切り刻みます。しかし、実際は8回より多く、清の時代では24回、36回、72回と有ったようです。その中で24回に切り刻む方法が記述してありましたので記載します。


1:両方の眉を切り取る。


2:肩上を切り取ります。


3:両方の乳房を切り取ります


4:両手の肘から下を切り取ります


5:足の肉を切り取ります。


6:胃袋を切り取ります。


7:心臓を突き刺します。


8:両腕を切り落とします。


9:足を切り落とします。




まずは、刑場に連れて行かれる様子です。


最初に髪の毛が切られます。


両方の乳房が切り取られます。


上腕を切り取っています。





太股とスネ部が切り取られます。


両腕が切り取られ足首が切り取られます。


断首されます。


切り取った人体をかごに入れます。









明朝時代にさんざん悪事を働いた宦官の劉瑾という人物は、3日間に及ぶ刑が行われ、3357回も切り刻まれたと言うことです。しかし、この刑も1905年、清朝時代末期近くに廃止となりました。


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